べぎログ-べぎの感想・考察-

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主にプリキュアシリーズの感想と考察

【バトル漫画的に見る】2.5次元の誘惑59話感想

いやー、素晴らしい最新話でしたね。

 

夏コミ編で回収すべき案件、アリアの想いを伝えるが果たされた回。盛り上がらないわけないですね。時と次元を超えて伝わった想い、感無量です。

 

まあこのお話が如何に感動的であるか?ということはもっと以前から2.5次元の誘惑に触れてる皆様にお任せするとして。そもそも私、あまり泣くタイプでもないので感動的である理由を論理的に説明するの苦手なんですよね。

 

なので、ここはちょっと違った視点で見てみたいと思います。

 

すなわち、『コスプレによるバトル漫画』と見たときにこの話はどうであったか?

 

しばしお付き合いください。

 

 

 

コスプレ力(りょく)

 

はい、いきなり勝手にワード作るなって話ですね。

まあ要は『どれだけコスプレの質が高いか?』を戦闘力的、バトル漫画の能力っぽく見たらどうなるかな?って話です。

 

で、私が思うに…。やはりこのコスプレ力は四天王であるまゆら753が強いのではないかと思うのですね。2人に共通しているのは、コスプレ中に『コスプレイヤーの○○』ではなく『キャラクター』となっているところ。コスプレが2次元のキャラクターに扮するものである以上、そのキャラクターにしか見えないというのはコスプレの境地なのではないかと思うわけです。

 

そしてキャラクターになるという点では主人公の天乃リリサも負けてはいません。リリエルのポーズを全て覚えそれを実行することで、漫画で見たリリエルそのものを3次元空間に出現させているんですね。

 

キャラクターになる、という点で一つの最終到達点はあると思います。ただそこに至るプロセス。手段はそれぞれで違っていますね。

 

一つのキャラクターに対する深い愛ゆえに『リリエル』『ラスタロッサ』の表現が抜群な一キャラ特化型のリリサとまゆら。対して753は自分が可愛くなれる『コスプレ』に対する愛故に極めることができたわけですね。コスプレという行為そのものを極めてるから、どんなキャラクターでもハイクオリティで表現できますよって話ですね。

 

と、まあ色々話しましたが。私が考えるに『コスプレりょく』というのは…。

 

どれだけキャラクターになりきれているか?

 

が重要なのではないかと思います。コスプレイヤーとしてカメラに囲われる技術とかはあるんでしょうけど、単純に『コスプレの質』という点で見た話ですね。

 

そこにいたのは?

 

さて、そういった視点で見たときに。今回、キサキ先生の前に現れたアリアのコスプレは素晴らしかったと言えます。

 

あの時、アリアは『実の娘』としてそこに立っていました。父親が描いた漫画への愛を今度こそ伝えるために。その漫画のキャラクターに扮することで愛を表現したわけですね。

 

ですが、そのコスプレは作品への愛を表現するだけに終わりませんでした。自分のお父さんが生み出したキャラクターです。メリアも同じく『パパの娘』であり、『大好きなパパ』が生み出したキャラクターを理解し成ることなど、そう難しくはないことでしょう。

 

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出典 2.5次元の誘惑59話

 

キャラクターに扮するコスプレという手段を取ったことで、アリアはメリアとなりました。この言葉はアリアが『実の娘』として先生に伝えたものでもあり、メリアが『キャラクター』として生みの親である作者に伝えたものでもあるわけです。

 

 

実の娘として10年という時を越えて。

 

キャラとして紙面という次元を超えて。

 

 

伝わった愛、感無量ですね。

 

…で、このときのアリアはキサキ先生にとってはメリアでもあったわけですが。これをコスプレ力として考えると、まさにキャラクターになったんですよねパパへの愛という手段を持って、アリアはリリサ、まゆら、753にもひけを取らない高いコスプレ力を出したと言えるのではないでしょうか。

 

とはいえ、これが他の時でもできるかと言われたら難しいと思うんですよね。あくまでパパへの愛があったが故のものですので、目的を果たしてしまっていますから。そこらへんはコスプレ力のバランスが取れているのかもしれませんね。愛の力ブーストです(?)

 

おわりに

 

ということで、コスプレ力という謎数値を定義して語ってみました。私はこの作品、ネタシーンで入ったくちなのでアレなんですが。とはいえきっかけはそれにしろ、読んでみたらそこには王道の物語があったので今では毎週楽しみにしている作品の一つです。

 

今後も追っていきたいと思います。