Goプリンセスプリキュア38話感想
シリーズでも屈指のエピソードであろうGoプリ39話。私も大好きなエピソードです。何十回見たことか。
この39話の盛り上がりには38話も欠かせない要因であると思います。
いわゆる『落とし回』というやつですが、今回はここに焦点を当ててみたいと思います。
否定は肯定者によって
プリンセスになりたい。幼い頃に抱いたはるかの夢。友達に否定された幼き彼女の夢は、カナタによって肯定されました。その肯定があったからはるかはプリンセスを目指して頑張ってくることができた。あの肯定がなかったら、そこで夢を諦めていたかもしれません。カナタの言葉は大きかった。
そんなカナタに『プリンセスになんてなるな!なるんじゃない!』と言われたはるか。そのショックはとてつもなく大きいことは想像に難くありません。なにせ自身の夢を肯定してくれた人が自身の夢を否定したのですから。
39話で盛り上げるためにこれ以上なく落としたなと思います。
…と、シチュエーションを見れば『そりゃあショックよな…』となるこの状況。
このシチュエーションを作るために、大きく2つの重要要素があると思います。
記憶喪失
1つ目の要素は記憶喪失。
このときのカナタは記憶を失っているため、自分が昔はるかの夢を肯定したことを覚えていません。その時の気持ちも勿論覚えていません。カナタははるかから『昔、カナタが私の夢を肯定してくれた』と聞いただけです。そして、今はるかはその夢のためにキュアフローラとして敵と戦っています。その身が傷ついたとしても。
その当時の自分がどんな想いではるかの夢を肯定したのかわからない。しかし自分の言葉に影響を受け夢を目指す女の子は今戦って傷ついている。
カナタが願ったことは一つ。はるかにこれ以上傷ついてほしくなかった。
それが夢を追い求めるせいであるならば、それが自分の言葉のせいならば。そこからはるかを救い出したい。
ただそれだけを願った言葉が、はるかにとってとても衝撃的な言葉になったのですよね。
王子のままで、思うがままに
2つ目の要素は…37話。また前の話かい!!と思うのですが、ここもかなり仕掛けられています。
記憶を失っている今のカナタは本来のカナタではありません。つまり…極論『味方であること』も確かではないわけです。
ところが37話で彼が取った行動は、はるかにとってまさに王子と言えるものでした。ジュリエット演じるはるかの助けになり、最後には二人でロミオとジュリエットを演じました。記憶を失ってもカナタの本質、つまるところ『味方』でありプリンセスを目指すはるかにとってのプリンスであることは変わらない。そう思わされるには十分な描写でした。
…そう思っていたところにあのムーブなのです。上げて落とすとはこのことです。
更にもう1つ、この話においての重要事項。ジュリエットを演じるはるかの演技です。
ゼツボーグによりロミオ役が怪我をしていまい、台本にない転倒をしていまいました。その際はるかはまるでジュリエットになったかの如く、目の前で倒れたロミオの元に駆け寄るのです。このときのはるかは、はるかというより『ジュリエット』として行動しています。ジュリエットならば…ロミオのことを想って行動するからです。
記憶を失ったカナタがはるかのためを想って『プリンセスになんてなるな』と言った行動と、本質は同じなんですよね。だからこそ、彼の言葉がはるかを傷つけたとしても彼を責められないと私は思います。傷ついたのはあくまで結果論なわけですから。
おわりに
とても丁寧にはるかの心を折った回だったと思います。この回でメッタメタに叩きのめされたからこそ、39話でとても盛り上がるわけです。
HUGプリ10話などもそうですが、盛り上がる前には乗り越えるべき試練があるときもあります。そして…そういった回は展開の都合上、直後の盛り上がり回に注目されがちであまりピックアップされないように思います。
そんな話をピックアップして少しでも良さを共有できればと思った次第でした。