ドキドキプリキュア40話感想
ドキドキプリキュアを語る上でこの回は外せないと言えます。
演出、台詞回し、ストーリー構成、作画などあらゆる面でシリーズ屈指でしょう。
一言でいえば神回と言えるわけですが、一言で片付けるのも非常にもったいない。
神回が神回たる所以を紐解きつつ感想を書いていきたいと思います。
そこに愛はあるか
まず重要な点は『レジーナに愛があるか?』です。如何にマナたちが愛を伝えようとも、愛なき相手には愛が理解できないので無意味です。
レジーナにはキングジコチューへの愛があります。これはマナたちから見れば『敵の親玉への愛』なので、不都合な事実ではあります。ただ、敵の親玉相手とはいえ愛が存在することの証明とも言えます。
敵側へのものとはいえ、愛がある事実を見逃さないマナ。一見不利な事実に含まれる有利な事実を見逃さないあたりは彼女らしさが出ているシーンでもあるかもしれませんね。
何の為の歌なのか
愛という想いを伝える手段というのは色々あります。
例えばラブレター(古っ!)つまり手紙。文字で伝えるのも手段でしょう。
例えば直接告白。王道の直球勝負、言葉にして伝える。めっちゃドキドキする。
そして…アイドルである真琴には歌という手段がある。ファンレターを返せなくても、手紙で受け取った想いに歌で答えることができるのを教えてもらったわけですね。
レジーナに愛を伝える手段。選ばれたのは歌でした。
ちなみに私は綾鷹派です。
誰の愛が乗る歌か
レジーナに愛を伝えたいのは真琴だけではありません。
マナをはじめ、みんな想いは同じ。真琴を手伝うのは単純に彼女を助けたかったというのも勿論あるでしょうが、きっと自分たちの愛もレジーナに伝えたかったからなのでしょう。
みんなで作ったことで新曲は皆の愛の歌になりました。
…なんかそんな名前の歌、あった気がしますね。
誰が為にある舞台か
そして出来た新曲を披露するステージ、あろうことかレジーナ本人が台無しにしてしまうわけですね。レジーナに愛を伝える舞台が整ったのに無くなってしまいました。
…ですが。
愛を伝えたい相手はそこにいて、
愛が込められた歌はできていて、
歌の歌い手もそこにいる。
必要なものは全部揃っているわけですね。
だからもう、特別なステージは必要ないんです。
真琴がただ歌い始めるだけで、ステージは完成する。
変身を解除したのもキュアソードではなく剣崎真琴が歌うためでしょうね。
愛を伝えるのに戦うための力は必要ありません。
幾多の愛が溢れるか
歌い始めてからはまさに圧巻のステージだったと思います。
一番小さく奥に写っているのが真琴ですね。ここから歌いながらレジーナまで一直線に歩いていくわけですが…。
その歌を邪魔しようとするジコチューたちと、真琴を守るプリキュアたち。これだけの激しいバトルが周りで起きていながら真琴は一切周りを見ていません。
それはハートたちへの信頼もあるでしょうし、この歌を届けたい相手を真っ直ぐに見据えたが故でしょう。逆にハートたちは自分たちの愛が詰まった歌をちゃんと届けるために真琴を守るわけで。
そして真琴からレジーナへの愛。
槍を受け止める手は力強く、でも頬に添える手は優しく。それは彼女への愛故でしょう。
その手が振り払われて彼女が槍を向けても、プリキュアたちはレジーナを信じて逃げずに立ちます。エース以外はとか言ってはいけません。
愛とは信じること。違う形で表現された愛もたくさん見えました。
愛が込められた歌と共に、たくさんの愛が溢れたシーンだったと思います。
終幕
と、まあ色々話しましたが。主たる目的はレジーナに皆の愛を伝えるということ。たっったそれだけのことをここまで素晴らしいものに膨らませることができるのは制作側の手腕と言ったところでしょうか。
真琴の個人回と見せかけて、まさかの最終フォーム合体技登場にも驚きですね。
余りにも長くなるので語りませんでしたが、ソードの特殊変身やレジーナの表情変化など作画面でも目を引くシーンが多かったです。
まあつまりは何がいいたいかって…。
皆ドキプリ40話見てくださいね!!!!
あ、勿論それまでの39話も見ないとですね!!!!
40話まで見たら残り9話なんてすぐですね!!!!
…そもそもこの感想見る大半が40話見た人でしょうに意味があるのかとも思いますが。
おまけ
四葉財閥は全てに通ず道である 『あーこの道かー』は草 煮詰まるっていうか煮崩れてるね→使い方違う ここらへん、めっちゃテンポよくて好きですね… #ドキプリ感想 #ドキべぎ40
— べぎ☆♡五等分の呪術P (@begirama_5ju) September 12, 2019
どの道?→あーこの道はー。
煮詰まるっていうか煮崩れる。
言葉遣いもクスリと来て、とても好きでした。独特のセンス。